母の古希に思う♡おもしろ可笑しく生きるコツ

● 母の古希に思う♡おもしろ可笑しく生きるコツ

こんにちは、柴崎そうこです。

母の古希を、お祝いに仙台へ行ってきました。

その席に夫と弟も同席してくれました。

母の古希を夫と弟と一緒に、お祝いできるのが本当に嬉しかったです。

私の目からは、母は「現代版おしん」そのものに見えます。

母は嫁ぎ先が商売をしていたこともあり、休みなく早朝から夜遅くまで働いていました。

外出したい。と口にしながら、なかなか自由に出歩くことも叶わないことが多かったです。

また、私には理不尽な扱いを受けているようにも見えました。

あくまでも私の目には、そう映っていただけかもしれません。

母のようには、なりたくない。
大好きだけど、絶対に母のようには、なりたくない。

ずっと私の中にあった気持ちです。

でも、やっぱり苦しいんですよね。

自分を生み出した女性のことを認めない状態って。

嫌だ。嫌だ。と母を恨めば恨むほど、自分のことを否定することになる。

それに自分否定がスタートだと、何をしても苦しい。

いや、苦しい方が都合が良いのかもしれない。

あんな母親から生まれた自分は苦しんで当然なんだ。

誰も望んでない勝手な妄想に辻褄を合わせられるから。

私が、このことに気づいた時は、膝から崩れ落ちそうになったもん。

まだ、母親のこと憎んでるの?まだ、私の人生は母親が決定権を持ってるの?

自分の幸せが母親次第って、ヤバくない?!
自分の幸せが他人次第って、どうなの?!

自分のお手本は生みの親だけじゃなくてもいい

年齢を重ねると、親に対して相談できないことも増えてくる。

かと言って、友達も子育てや仕事に忙しくしていることも多い。

私は、誰かに話を聞いてほしい時、神社やお寺に行くようにしてます。

お宮や本堂で気が済むまで、手を合わせてゴニョゴニョ、ぶつぶつ言ってます。

「ここまで辛辣なこと言っちゃダメかな?」と迷っても、肚決めて口から出すことが多いです。

胸のうち、肚のうちに溜めこないように全部、神様や仏様に聴いてもらいます。

もう、それだけでスッキリするから、じゃ次、どうしようか?って考えられる^^

それに、後ろの応援団も一緒にゴニョゴニョぶつぶつを聴いてくれてるから、お詣りした後が、おもしろいのだ。笑

「聴いてくださーい。」って、弱音や本音を聞いてもらう対象は神様や仏様がいいと思う。

何時間でも黙って聴いてくださるから。気の済むまで弱音とか愚痴を言えるって、日常生活では多くない。

なんなら、お金を払えば話を聞いてくれるサービスもあるけれど。それはそれ。

弱音や愚痴があるってことは、自分が何かを感じていて、自分の望みとギャップがあるから。

それなら、現状と理想のギャップが少なく、自分も納得できる人生にしたらいいよね。

自分の弱音も本音も愚痴も誤魔化さないで、全部、神様や仏様に聴いてもらったらいい。

それと、自分のところにやってきたご縁を大切に行動できたら、今の自分が驚いてひっくり返っちゃうような幸せな日々が待ってる。

母の古希を祝う席を振り返って思うことでした^^

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