お礼参りに住吉大社へ

今日は、大阪の住吉大社へお参りしてきました。

3回目のお参りになります。

3度目の住吉大社へのお参りを振り返ります。

お参りの前から始まってた

今日のお参りで先達さんからいただいたガイドに記載のあった一文をシェアします。

人生を航行になぞらえたとき

大きな船旅を笑う旅にしてゆくため
汗かき、べそかき、考えたり、迷ったり
人は周りの人が見てわかるだけの
薄っぺらい存在ではなく、とてもとても
愛おしい試行錯誤を誰もがしているものです

そんな船旅に寄り添ってくれる神仏に
素直に祈りに行くお参りです
宝船が順調に航行するように
全てのものが揃っている神社
住吉大社

本当に生きているだけで、いろんなことがありすぎます。

様々な出来事に揺れ動く感情の勢いに自分が一番驚いてしまって、どうしていいか分からず時間が止まったように時だけが過ぎたり。

特に、今回の住吉大社へのお参り前の数日は、自分の感情のアップダウンの激しさに疲れ切ってしまいました^^;

軽い混乱状態ですw

でも、こんな感じは今までにも何度も経験しています。

特に今回は、武内宿禰(たけしうちのすくね)様への、お礼参りと新しい祈願をする目的を持っていたから、「そっか。」と納得済み。

この混乱があるから、本当の本当の本当に自分がどうしたいのかを、もー嫌だーーーー!!!

私は、〇〇がしたいんじゃーーーー!!!!

これでもか!ってくらい、明確に自覚できるんです^^

今回も、住吉さんのお参りが始まり、しばらくして肚落ちすることがありました。

どうしても聞いてもらいたくて

今回のお参りの前の混乱の中で、どーーーーしても御神仏に聞いてもらいたいことがありました。

頭では分かっているけど、どこかモヤモヤしていること。

ないことに出来ないこともないけど、スッキリしない感じ。

こんな状態を続けていても良いことないのは体験済みなのです。

住吉大社の第四本宮(神宮皇后様)・第三本宮(表筒男命:うわつのおのみこと様)をお参りした時に聞いていただきました。

やっぱり、自分の言葉を自分の口から御神仏の前でカッコつけないで、赤裸々にお伝えすると気持ちがよいものです。

「こんなこと、御神仏に言ったらマズイよね」って考えてしまう、ドッロドロな感情もそのまま出しました。

御神仏の前で、自分の中に湧いてきたドッロドロな感情をそのまま吐露したお参りの後の先達さんのお話が印象に残っています。

自分の感情に良いも悪いもないです
(みたいな感じだったと思います^^)

私は、自分の感情にジャッジをしてしまうことが多いな。と思います。

「それは、ないでしょ。」

「そんなこと思うなんて、人としてどうよ。」

でも、しゃーない。

思っちゃうんだし、そう感じたんだから。

いいも悪いもなくて、ただそう思った。

そう感じた。

それだけ。

で、それからどうしたい?が、めちゃくちゃ大事だな。とお参りを続けてきて強く思うことです。

で、それからどうしたい?が、自覚していない本当の本当の私がしたいことの正体だと感じています。

宿題が出されるからこそ

で、それからどうしたい?は、住吉大神様と竹内宿禰様からのお参り前の宿題だったようです。

お参りの途中、先達さんとの会話で「お参り前の宿題だったねー」との一言に、分かっていたけど、その内容のエグさに笑えなかった自分がいます。

何をどうしたらいいのかが分からないから、どうしたらいいのかを教えてください。

初めて、住吉大社をお参りした時に、竹内宿禰様のお宮の前で、コンコンと詰め寄りました。

そのお参りからの生活は、怒涛の日々でした。

夢中で仕事をして、ふと振り返ると

竹内宿禰様のお宮の前で、詰め寄った願いのほとんど(ほぼ全部かな)は叶っています。

当時の私には、とても叶えることができない。と思っていたことも、人とのご縁を繋いでいただいて、形にすることができました。

2度目のお参りは、お礼参りと新しい祈願

2度目のお参りでは、1度目のお参りで「何をどうしたらいいのかが分からないから、どうしたらいいのかを教えてください」と祈願したことを叶えることができたお礼と新しい祈願をしました。

2度目のお参り以降の生活も、怒涛の日々でした。

祈願する

生活する・仕事する

ちょっとでも迷ったら、自宅近くに居られる地蔵様・氏神様・お稲荷様へ報告・相談を繰り返す

また、生活する・仕事する

こうして、自分とご先祖様と御神仏様との密な関係の中で過ごす時間は、自分オリジナルです。

こんなことしたいなー。

こんなのが作りたいなー。

思いついたことはドンドン連絡と相談を繰り返す日々は夢中になれる時間でした。

そして、ふと冷静に見渡すと、自分が手にしている成果物の多さにびっくりします^^

手にしたからこそ分かること

無我夢中になった自分が手にしたものの多さに驚きながらも、嬉しい気持ちもありました。

それと同時に、一番初めに祈願した時には想像もしていないことも体験しました。

それも、いいも悪いもないことです。

生きてたら誰にでも起こり得ること。

これからも、生きていれば似たようなことは起きるだろうし、特殊な出来事ではありません。

どんな出来事が起きたとして、自分の感情が揺れに揺れまくろうが、その都度、ご先祖様と御神仏様とのお付き合いの中で、自分が望む時間を積み重ねていくだけです。

まとめ

お参り前の宿題の内容は、泣いたり凹んだり怒ったりw

でも、揺れ動く感情の先にしか、自覚していない本当の本当の本当に自分がしたいことや、過ごしたい時間、味わいたい感情がどんなものなのかに気づけなかったりします
(私の場合です^^)

それに気づくことができて、御神仏の前で、自分の口からそれを自分の言葉で言えることは幸せなことだな。とつくづく思います

今日も、泣いて笑って、よく祈願して、よく食べた1日でした^^

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